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先輩たちの声

創業者インタビュー

会長

「社会から学び取ろう」という意欲が
必ず人間を成長させる。
生きがいとプライドを持って、共に働こう。

中古のトラック1台からのスタート

創業車 トヨエース模型 私が大沢運送を創業したのは1960(昭和40)年。それまで勤めていた運送会社が倒産したことがきっかけでした。その時私が持っていたのは大型2種免許と中古のトラック1台。そこで仕事で縁のあった企業に「トラックを持っているから使ってください」とお願いに行き、私自身がハンドルを握る個人経営の運送屋として、その企業の東京工場の運送業務の手伝いがはじまりました。スタート時はただ家族を養わなければいけないという気持ちだけで、「会社を大きくしよう」という考えは全くありませんでしたが、当時取得するのが非常に難しかった運送事業の免許を取得して、手伝いから事業へと変化していくうち、約4年後には10人ほどの従業員を持つ規模になりました。

「一社依存は危険」その気付きがターニングポイント

 創業のきっかけを作ってくれた企業が埼玉工場を持つことになり、そこでも運送を任せたいと声をかけてもらって、大沢運送もその企業に連動する形で、1969(昭和44)年4月に東京都小平市から埼玉県東松山市へと拠点を移しました。

 従業員が増え、労働待遇も良くしたいと考え始めたある時、その企業と運賃交渉をしました。私としては「15%アップ」を希望しましたが、交渉は難航し、最終的にはわずか2%アップに抑えられてしまった。当時、売上の8割がその企業の仕事でしたから、厳しい数字であっても取引をやめることはできません。その時しみじみ「一社に依存する会社経営は危険だ」と実感して、取引先を増やすために営業を強化することを決意。当時はまだ私自身もドライバーとして現場を走り回っていましたが、社長として腰を据えて会社の経営を考えなければ、社員を守ることはできないと思い至り、現場を離れて、会社の管理や営業活動に力を注ぐようになったのです。

「縄張りを奪うな!」同業者との摩擦にも屈せず

 営業活動を強化すると、今度は近隣の同業者たちから「うちの縄張りを奪うな、大沢運送を東京に戻せ!」という反発が起こりました。私は起業する前に運送会社の営業を経験していたこともあって、ビジネスの現場には摩擦があって当たり前という考えがありましたから、その反発には正々堂々、「大沢はダンピングをして仕事を奪うようなやり方はしない。営業活動は我々の誠意を持った対応をお客様に伝える場で、最終的に取引先を選ぶのはお客様。だから営業はやらせてもらいます!」と公の席で宣言。コソコソしないことで、理解が得られたと思います。

会社を続けていく上で営業は絶対になくてはならないもの。常にアンテナを張って、ビジネスチャンスになると思ったら行動する。そういう営業信念は当時も今も変わっていません。

“ピンチはチャンス”の精神で創業以来「赤字なし」

会長 創業から50年の間にはオイルショックやバブル崩壊もありましたし、会社がピンチを迎えることも度々ありました。一番最近のピンチは2008(平成20)年に起こった「リーマンショック」。あの時は3割も売上が落ち込んでしまい、かつて一度もしたことがない“リストラ”も頭を掠めましたが、何とか持ちこたえることができました。

 創業以来、赤字を出すことなく乗り切って来られたのは、信頼関係を築いている取引先のご協力も大きな1つ。そして会社としては“ピンチはチャンス”と捉えて、社員一丸となって知恵を出し合い、様々な創意工夫をしてきたから。それが大沢運送の社風と言えるかもしれません。

運送業の社会的地位を上げ、社員がプライドを持てる会社に。

 「運送会社は“キケン・キタナイ・キビシイ”の3K」というイメージを多くの人が持っていると思います。またドライバーという職種についても、社会的地位が低いように思われがちです。大沢運送はそんな印象を変えるべく、より安全に、より清潔に、そしてより良い労働環境への改善にも力を入れています。会社を大きくすることが目的ではなく、「社員がプライドを持って働ける会社」になることが我社の目指すところです。

 学歴も商才もない私が今あるのは、働きながら様々な人を見、経験を通して学んできたから。これから社会人となる若者にも「社会からあらゆることを学び取ろう」という向上心を持って働いてほしいと思います。「タイムカードを押したから仕事をしている」という感覚では、せっかくの人生に張り合いがない。挑戦する気持ちを持って仕事に向き合えば人は必ず成長するし、生きがいを持って働くことは人生を豊かにする。大沢運送は社員が生き生きと働ける場であるよう努力し、志のある社員とともに、一歩一歩着実に前進していきたいと考えています。

名誉会長 大澤 浩



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